2月3日

目覚めると、東京は雪世界だった。ドアを開けて外を眺めると、地面は白い雪で覆われ、今も激しく降り続いている。以前のようなみぞれまじりの雪ではなく、辺りを白く染め尽くすあの白い雪。寒いのを嘆き、積雪により交通網が乱れることを憂え、雪が降り止まぬ灰色の空を見上げては春に恋こがれる人々。私だって寒いことにたびたび文句を言っているが、ときたまこの文句はごく表面的なものだと感じることがある。北国の冬生まれの私にとって、冬は親しい季節である。身を切るような北風も、足下で砕ける氷の音も、そして何より音もなく降りしきる雪を、私は愛している。一番好きなのは、冬特有のキンと冷えて引き締まった、あの空気の感触だ。そんな空気を吸い込みつつ、絢爛たる冬の星座を見上げるとなんとも幸せになる。東京だとほとんど星は見えないが、それでも夜空を見上げる。澄んだ群青、透き通った冬の気配。感覚が冴え渡るのを感じる。皮膚が凍り付く。無機物に近づくような、そんな一瞬の錯覚を愉しむ。東京の雪は、べたべたと濡れていて私の好きなさらりと硬質な雪ではない。でもドアを開けた今日、濡れた雪が降りしきる東京を見て、12月の札幌を思い出した。私のふるさと、私を育んだ冬の景色、もっともっと世界が凍えてしまえばよいのに。

2日、用事があって横浜に出かける。出かけた用事は大変有意義だったが、そのついでに調査しようと思っていた某所が閉まっていて心の中で涙にくれる。ああ、なんてタイミングの悪い。また行かなきゃ、とほほ。時間が余ってしまったので、仕方なく元町をぶらつく。調査先に振られてしまい落ち込みながら歩いていたのでお店は何も入らなかったのだが、元町独特の雰囲気に浸りつつ散策をしているうちに元気を回復する。なんだろうこの感じ、まだ言葉にうまく纏めることができないのだけれど、近代初期に西洋が流入した港街特有の、私の非常に好きな気配が濃厚に立ち込める場所。横浜、小樽、そしてまだ見ぬ憧れの神戸。気力を回復したので中華街へ出かけ、肉まんやマーラーコーを買い食いしてぺろりと平らげつつお土産の月餅も購入する。落ち込んでも、食べればとりあえず回復するおそろしく単純な自分は幸せなのかもしれないと少しだけ思う。ひとしきり月餅を買い込んだ後、駅からみなとみらい線で帰宅。横浜で下車してJaneやエミキュを覗きに行こうか一瞬迷ったが、疲れきっていたので渋谷まで一直線に戻る。寄れば散財するのは明らかだし、お財布的にはよい選択だったのだろう。それにしても横浜は一日のんびり出かけるということはなく、いつも用事ついでになってしまうからゆっくりできたためしがない。そのうち一日時間をかけて、のんびり遊びに出かけたいものである。


2月29日

2月の終わりの日の夜に、久しぶりに日記を書く。去年の11月はとにかくつらかったという思い出しかないのだが、今月もまたつらいひと月だった。締切が重なって精神的には参るし、体調もあまりよくないしで散々な毎日だった。このところ顔が険しくていつも眉間に皺が寄っていて、我ながら怖い。しかも提出物が終わった後の疲れの中でどんと落ち込んで、なかなか浮上できなかった。ようやく回復してここ数日は今まで通りに出歩いたり活動できたので、3月はもっと平穏な気持ちで過ごせるのではないかと思う。やりたいこと・やらなければいけないことが山ほどあるし、どのようにして心のバランスを取りつつ活動していくのかが課題であろう。

古書市に出かけ、風間賢二編『ヴィクトリア朝空想科学小説』(ちくま文庫)、カーソン・マッカラーズ『夏の黄昏』(福武文庫)などを購入。最近趣味の本を全く読めないので、来月はもっと読書をする時間を作りたいと思っている。このままでは、私は乾涸びてしまう。

帰り道にふらりとEXPOを覗いたところ、隅に置かれた鞄が目に入る。鞄というよりは函であろうか、手に持って眺めているとなんとなく想像力が掻き立てられ、これを少年展の作品の枠にしようという発想がふと浮かぶ。まだ本決定ではないが、なんとなくこれでいきそうな予感がする。函は世界、世界は箱庭。私の場合枠組みとなる函が決まらないと創作に取り組めないらしく、少年展の準備が全く進まなくて内心焦っていた。でもこの函を手に入れたことによって、ようやく第一歩を踏み出せたような気がする。余裕がないと創作活動をするエネルギーが湧かず、そういう意味では厳しい状況ではあるが、サーカスをテーマに自分が何を作れるのか、それを3月の間に模索したいと思っている。

明日は外市に出かけたり、早稲田の演劇博物館で維新派展を見たり、原宿でウィンドーショッピングをしたり、久しぶりに人間らしい休日を過ごすことにしよう。

 

 

 

 

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