6月16日

ものすごく久しぶりの日記になってしまいました。死にそうなくらい忙しかったこと、またノートPCが壊れてしまい修理に出していたこともあって、こちらの日記がしばらく放置されていました。復活したiMacにもDreamweaverがインストールしてあるからそちらで更新すればよかったのかもしれませんが、FTP関係を設定している暇もないような狂気の忙しさだったので…。忙しさの山はとりあえず越えましたが、次なる波がさっそく目前まで迫っています。週末そして月曜日は、そんな波の前の一息ということで遊ぶ予定をたくさん詰め込んでいます。体の方は疲れるだろうけど、これで精神的にリフレッシュできればいいな。長らく日記を書いていない間にいろいろな出来事がありましたが、まとめる時間はなさそうですね…。余裕があれば、覚え書き程度に小出しにして書いていくかもしれません。とりあえず、これからはもう少しマメに日記を更新していきたいと思っています。

ひとまずは本日のことについて。今日はジュール・ヴェルヌ・ページのsynaさんと一緒に神保町めぐりをしてきました。半日かけて古書店めぐりをするなんて、本当に久しぶり。最近はおなじみの場所で岩波現代文庫とちくま学芸文庫を買うくらいだったので、普段は入らないようなお店の棚までじっくり見ることができてとても新鮮でした。今度買いたいなと思う本もいろいろあったので、また神保町町通いがはじまりそうです。今日購入したのは、集めている月刊ペン社の妖精文庫シリーズのシルヴィア・タウンゼンド・ウィーナー『妖精たちの王国』(1000円)、サミュエル・R・ディレーニ『時は準宝石の螺旋のように』(サンリオSF文庫)。あとは新刊でアルベール・ロビダ『20世紀』(朝日出版社)を購入。ロビダの『20世紀』が邦訳されるなんて!素晴らしい作りに仕上がっていて、これから読むのが楽しみです。ちなみに帯は荒俣宏と茂木健一郎。アラマタはともかく、茂木健一郎には少し驚きました。ギラギラ炎天下のなか、一緒に本屋巡りをしていただきありがとうございました!>synaさん

さて、明日もお出かけです。原美術館のヘンリー・ダーガー展を見てきます。ヴィヴィアンガールズ・ケーキ(おもしろいけど正直食欲をそそらないネーミングだ・笑)も食べますわよ、うふふ。


6月21日

とても調子の悪い日々。いろいろな用事をこなせず、部屋でずるずると寝ています。疲れがたまっているうえに、精神的にプチヒッキーモードのようで。文章を書くこともままならないので、最近のことを覚え書き風に。

・日曜日はMさんとお会いして、原美術館で開催中のヘンリー・ダーガー展に行く。同世代の本読みの方と一緒にお出かけするのは本当に楽しい。Mさん、一日ありがとうございました!

・月曜日は師匠とともにコクーン歌舞伎へ。三人吉三。勘三郎、橋之助、福助、勘太郎、七之助をはじめ、中村屋一座を見るのははじめて。感想をきっちりまとめたいが、今の状態じゃ無理だなぁ。なんにせよ、出かけてよかったです。ところで、この舞台を通じて私は中村芝のぶにはまりました。わりと短い役だったのになんだか妙に印象に残る人で、あとで友達が買ったプログラムを見せてもらって写真を確認して「うっそー、これで1967年生まれ?」と驚愕したり。20代にしか見えんよ…。次は中村芝のぶの女形が見たいです。というか普段は基本的に女形が多いわけで、むしろ私のように立ち役ではまる方がレアな気がします。調べてみたら、中村芝のぶは萬斎主演のハムレットでオフィーリアを演じて非常に高い評価を受けたようです。見に行けばよかったと今更ながらに後悔。

・天野可淡の作品集が復刊されるんですねー。驚きました。最初の二冊はまだ持っていないから、ちょうどよかった。あと鈴木志保の『船を建てる』も復刊とか。これは持っているけど、また買ってしまいそう。それほど、自分にとっては大きな存在です。

・維新派の公演に行きたい、行きたい!「nostalgia」、20世紀三部作とあれば行かないわけには行きませんが、上演期間が一番忙しい7月上旬(おまけに場所は大阪)。これはどうやっても厳しいよなー。もし万一遠征したら(スケジュール的に不可能だとは思いますけど)、その時は完全に壊れたと思ってください。

・7月28日から、Bunkamuraのミュージアムでオーギュスト・ルドンの展覧会「ルドンの黒 眼をとじると見えてくる異形の友人たち」がはじまる。私がルドンに興味を持ったきっかけは、駒井哲郎の『白と黒の造形』という一冊の本だった。ルドン展、楽しみ。

・久しぶりにフィギュア話し。GPSエントリーが発表されましたが、今年のNHK杯はアイスダンスが面白い!デロション(仏国内戦とかぶってるけど来るかしら)、テッサモエ、あとはカー姉弟、さらに日本のリード姉弟!これはもう、仙台遠征するしかないでしょう。ただ時期的に大丈夫かなぁ…。

・なんで最近こんなに調子が悪いんでしょうね。前期の疲れがいい加減溜まってきているから?やらないといけないことが多すぎて、心身ともに消耗しきっているから?ストレスを解消しようにも、時間がないし体力もないし…。微妙に悪循環にはまっている気がします。


6月22日

昨日の日記を読んだ友達が「ハムレット持ってるよ、貸してあげるよ」とのこと。う、うれしい!持つべきものは友ですね。本当にありがとうございます。これで中村芝のぶのオフィーリアを観ることができるわ〜。あとドラクルのチケットも取れたようです。最前に近い、非常によい席。チケットを取ってくださった友人のお父様に感謝。

なんだか久しぶりに鬱々しています…。だるくて起き上がれない、部屋から出たくないというのは結構重症。気がかりなことがたくさんあるから、それで精神的にイマイチなんでしょうね。はぁ、今日もだるだる。


6月23日

海野弘さんの『モダン都市東京』が文庫化されていたので買おうかとレジまで持っていきかけたのだが、1300円という値段にびっくりして棚に戻してしまった。。ちくま学芸文庫で1000円越えには慣らされていたはずなのだけど、今回は中公文庫だったので…。最近は中公文庫を買うことはあまりなかったのですが、離れている間にここも普通に1000円越えが当たり前になっていたのでしょうか。『モダン都市東京』も買っちゃえばよかったんですけどね。きっとそのうち、気が向けば購入すると思います。それにしても最近の文庫は本当に高いなぁ。

日記にはほとんど書いていませんが、最近毎日というのは言い過ぎにせよ週に2、3回学業がらみの本を注文しています。増殖する書物たち。おかげで部屋がすごいことになっています。こういう研究をしている以上、書物を買うのはやめられない。とはいうものの、半分物置と化している自室を眺めてさてどうしたもんだかと思案しているところです。だんだん人の棲む場所じゃなくなってきてるや…。今は精神状態がイマイチだから、研究用の資料集めに専念しています。というわけで、今日もまたざくざく本を注文しました。


6月25日

書籍部にて四方田犬彦『先生とわたし』(新潮社)を購入。由良君美との出会いから別れを描いた一冊。雑誌「新潮」に載った時から物議を醸していた内容なだけに、いろいろな意味で期待度大。また今更ながら4月に山本義隆の新刊『十六世紀文化革命』が出版されていたことに気付いた。近いうちに読まねば。

さとて、今日はこれからPlastic Treeのライヴです。FC限定ライヴ。正直行くのがとてもたるいのですが、行けばそれなりに楽しめるというのが最近のパターンなので重い腰をあげるのがポイントみたい。最新シングル「真っ赤な糸/藍より青く」は最近のプラの方向性としてはかなり好きなテイストだから、なんだかんだ言ってアルバムの発売を楽しみにしています。90年代のプラの姿は今はもうない。そんなのとっくの昔にわかっていたこと。次第に毒気が抜けていく音楽に物足りなさを感じつつも、音楽ばかりではなく本人たちとか彼らの作る世界観が好きな以上そう簡単には嫌いになれなくて、微妙にねじれた感情でファンをやり続けている日々。そこにはきっと、過去への未練というのも大いに関係しているのだろう。でも今のプラで過去の再現を望んでも仕方がない。「サーカス」という特別だったあの曲がその圧倒的な地位から堕ちてしまい、以前ほどは感動できなくなっていることをこの頃のライヴで感じている。そう、変わってしまったのだ、いろいろなものが。でも変わり続けたから、10年という年月を生き残ることができたのだということもまたよくわかっている。ファンとしては、常にそこにジレンマが生じるのだ。今の音楽の方向性という枠組みの中で素直に「よいな」と思えたのが今回のシングルだったので、そのことはとてもうれしいし、昔とは違ったレベルでまた期待をしている。今はFC限定ライヴにつきもののトークを聴く気分ではなくて、ただただひたすら音を聴きたい気分。今日がよいライヴになればいい。そうすれば、7月はもっと楽しくなる。


6月26日

Plastic Treeファンクラブ限定イベント「 海月集会Vol.4 20世紀の悲観主義者≒21世紀の感傷主義者」に行ってきました。明らかに竜太朗センスくさいタイトルですが、特に意味なしの語呂遊びだったのかタイトルが内容に絡むことはなく進行しました。6月27日に発売になるニューアルバム『ネガとポジ』の先行ライヴ。最近オフィシャルサイトもネットでの情報収集も雑誌チェックも行わずに出かけたので、本当にまっさらな状態で新曲を聴いてきました。曲が全然わからないのですが、基本的にアルバムの曲順通りなのかな?詳細な雑感は書かないけど、今回のアルバムはなかなか好きかもなと思いました。

1曲目の「眠れる森」はちょっと昔のプラっぽいかもなと思った曲。メロディーなどはあまり覚えていないけれど、この情景好きだなーと思ったような気がします。2曲目は「不純物」。これはすごく好きなタイプ。イントロのカッティングといい、全体的に粘っこいリズム感がかっこいい。三曲目の「エレジー」は尖った感じで音は爆音系、ボーカルはやや無機質?メロディーより音圧を体で感じて楽しむ曲かな。最初の3曲は洋楽風テイストが入っている印象を受けました。基本的にJ-POP寄りな曲よりこちらタイプの方が好みだからうれしい。

最初のMCを挟んで次は「スピカ」。……ああ、これはなんかもういいや。飽きるの早かったなぁ。。アルバムに入る時はどんなアレンジなのか、そちらに期待。少なくともシングルVer.の演奏は毒がなさ過ぎてつまらない。と文句たらたらだが、ステージの上に青白い光を放つライトが8つ灯され、それがすばる(プレアデス星団)のように見え、束の間素敵な夢を見た。続いて「ザザ降り、ザザ鳴り。」曲名が全くわからなくて、でも歌詞から「雨の曲だよなぁ」と思っていたらこんなタイトルだったとは。ギターポップな曲だったかな。タイトルから勝手に暗い曲を想像していたのだけれど、どちらかというと明るい曲だった。ポップだけど明るすぎないで少し翳りがあるのがプラ風味かな。その次は「無人駅」。うーん、印象が薄くて全然覚えていない。アルバム買ったら再確認しよう。

ここでMC2。その次が「オレンジ」。これは超ポップ。最初はどうなんだろうと思っていたけれど、ずっと跳ねている会場の中に立っていたらだんだん楽しくなってきた。アルバムで聴き込めばもっと印象がよくなる曲のような気がする。続いて「Sabbath」。激しい暴れ曲だったかな。次が「egg」なのだけど、この曲すごーく好き!リズムがよくて暴れ系で、そして歌詞がはっきりとは聴き取れなかったけどブラックでシニカルな内容で、そこがツボ。「涙腺回路」はメモに「イントロのベースが目立つ、曲中もベースがゴリゴリ」としか書いていない。ベースばっか見てるな(笑)。

「黒い傘」はいろいろと言いたい曲。好みなんです。すごく好きなんです。でもこれは、完全に「3月5日。」2007年Ver.ではないでしょうか。イントロの感じとか、呟くように歌うメロディー、そしてサビの爆発といい、曲構成やテイストがかぶりまくりなような。。同じものを作る必要があるのかなぁ。などと若干複雑な気分になりつつ聴いた、重くて暗い曲。かなしい物語のようだった。ラストが「アンドロメタモルフォーゼ」。イントロが流れた瞬間「どこかで聴いたことがあるような…」と思って家に帰ってきて確認したところ、現在のオフィのBGMがこの曲でした。これはラストにふさわしい曲でしたね。エンドロールのような、これからの決意表明のような、歌と音が溶け合って祈りのように感じました。構成自体はシンプルだけど、ずしっときた曲です。大好き、大好き。アルバムで聴くのが楽しみ。

というわけで、アルバム曲を聴いた感じではなかなかよい印象を持ちました。少なくとも『シャンデリア』よりはずっと好きそうだな。結局あのアルバムは「ヘイト・レッド ディップ・イット」「内臓マイク」、あとはせいぜい「ラストワルツ」くらいしか聴かないし。なんか時間が経てば経つほど駄作感が募るというか、好きになれなくなっていったアルバムでした。今回のアルバムは違うといいな。とりあえずアルバムを購入して聴き込んで、それで7月3日のAX公演に備えたいと思っています。

取り急ぎ、アルバム曲の一言雑感を。残りのイベント全体については、プラブログの方にアップしていきます。


6月27日

現在修羅場中。というよりむしろ、修羅場である方がデフォルトになっている近頃の生活は一体…。梅雨を通り越して、私の頭の中は台風です。しんどいなーと思いつつも、死にものぐるいで走り続けている感じ。限界超えたらぱったり行くのかしら。それも怖いなぁ。

浅田真央ちゃんが短期間とはいえタチアナ・タラソワコーチの指導を受けるとのことでびっくり。でもこれはすごく嬉しいニュースかも。新採点になってから精彩を欠いているとはいえ、タチアナ・タラソワといえば幾多の金メダルを生み出した名コーチ。ヤグ様信者の私はついついアレクセイ・ヤグディンの名前を筆頭に挙げてしまうけれど、他にも長野オリンピック金メダルのイリヤ・クーリックやグリシュク&プラトフをはじめ、数々の金メダリストを生んだチャンピオンメーカーです。タラソワの持ち味は、重厚でドラマティックなプログラムだと思います。軽くふわふわなスケーティングで無重力感が魅力である真央ちゃんとは根本的に正反対。でもだからこそ両者が融合すれば、ものすごいものが生まれるのではないか、そう期待させてくれるニュースです。新採点下では難易度が高くて詰め込みプロのわりにはレベルが取れないという決定的な欠点はあるものの、タラソワプログラムの芸術性やドラマはやっぱり大好きです。今回はSPの振付けも頼むかもしれないということで、要素が決まっているSPを頼むというのは賢いやり方だなぁと思う。これだと、新採点下で起こりがちだったタラソワプロの欠点はカバーできるはず。タラソワは現在はコーチ業からは退いてロシアのスケ連がらみの仕事をしているからもうロシアの選手くらいしか面倒を見ないのだろうなぁと思っていたら、こんなビックニュースが飛び込んでくるとは。うれしいな。タラソワコーチといえば、荒川静香さんを見ていたこともあります。タラソワのもとに移籍してからわずか三週間でドルトムントの世界選手権で優勝したのが懐かしい。まぁその後いろいろあって、結局タラソワと決別してモロゾフに移ったことがトリノ金メダルに繋がったわけですが…。それはともかくタラソワはこのように、実力がある選手の表現力を開花させる、ブラシュアップコーチとしての才能に長けている人だと思います。あんなにイモくさくて垢抜けなかったヤグディンが、タラソワのもとで磨かれて王者となっていった姿は面白いくらいでした。真央ちゃんにどういう変化が起きるかはわからないけど、この選択は絶対間違っていないと思う。応援しています。

これは昨シーズンも感じたことがだけど、浅田陣営はブレイン陣が切れるというか、長期的スパンのもとで戦略を立てているなと思う。ラファエルに移ったことといい、今回のタラソワといい、何が彼女に足りてなくてそして何を磨いていけばよいのか、冷静に分析して対策を練っている様子が伺えて、それがとても頼もしい。世選銀メダリストになった天才は、同時にまだまだ未熟さや欠点があるという、ある意味恐ろしい状態だ。未熟さや欠点は、同時に伸びしろでもある。こうした高みに立ってなお、まだまだ伸びしろがあってこれからもどんどん進化を続けていくのだろう。努力する天才は一番恐ろしい。だからこそ、楽しみなのです。

日本におけるもう一人の天才、安藤美姫さんに関してはちょーっと心配な部分も。彼女はとにかく素直すぎるのです。メンタルも、実は弱い。成熟した肉体に脆さのある精神は彼女の魅力ではあるけれど、ファンはやきもきするだろうなとも思う。メンタルの弱さは安藤さんが慕ってやまない荒川さんも同様か。安藤さんがついているニコライ・モロゾフは、荒川・安藤・高橋という実力があるのにメンタルや実力が不安定という日本の選手を金・金・銀に導いた功績者です。だからすごいコーチではあるけれど、モロゾフは振付界の小室哲哉だからなぁ。モロプロは滑りやすいし、また新採点対応もばっちりではあるけれど、結構ワンパターンだし飽きるし…。昨シーズンの安藤さんの劇的復活を見せつけるという意味ではモロゾフは最高だったけれど、これからバンクーバーまでずっとだとどうなんだろう。そのあたりは、やっぱり不安だな。あと安藤さんは、姉のように慕っている荒川さんのスケートスタイルに影響を受けているのを感じる。身近にいる素晴らしい人の良い部分を盗むのは、とても素晴らしいことです。でも安藤さんと荒川さんの持ち味って実は違う。そのことをよく理解してほしいところです。SPシェヘラザードは、安藤さんにぴったりの素晴らしいプログラムでしたよね。このプログラムの良さは、荒川さんにはない持ち味です。自分を知ること、自分の個性を作り上げつつ、さらに他人の良さも吸収する。そういうスタンスでこれから進んでほしいなと思っています。


6月30日

30日はヴェルヌ研究会を途中で抜け出して、鳩山郁子さんの展覧会「ダケレオタイピスト 銀版写真師」に出かけてきました。無理をして出かけてよかったというほど、素晴らしい内容でした!至福。

今回の展覧会は「ダゲレオタイピスト」という書きおろし140ページ長編作品の発売を記念したものですが、写真の黎明期に存在した「ダゲレオタイプ」という今では失われたテクノロージを物語のベースに据えた作品でした。ある授業で、スリーピングビューティーの話しを聞いたことがある。スリーピングビューティー、すなわち死体写真。Death Photographyという言葉の方が一般的なのであろうか。まだ写真が高価で高嶺の花だった頃、死亡した人(それは大半の場合幼い子供だったようだが)を着飾らせて最期の姿を写真におさめる風習が存在した。儚く散った命、せめてその姿を写真として残しておきたいという、親の願いなのか。目を閉じ眠ったような顔で画面に写る彼らは、すべて魂を失った死体である。この行為の持つ意味は、写真という技術が日常に浸透しきった現代の我々には掴みにくい感覚ではないだろうか。グロテスクでありながらもどこか哀しみを覚える彼らの静謐な眠り顔を眺めていると、写真という技術の長い歴史が一コマ一コマ浮かび上がり、数えきれないほどのシャッター音が頭の中でこだまするのだ。カシャ、カシャ、カシャ。微笑んだ私にあなたはカメラを向けた。眩しい陽光、シャッター速度は1/1000。ほら、今のテクノロジーではいとも簡単に私の形象は切り取られてしまうのだ。無限に増幅される自己像は、数を増すほどにどんどん透明になってゆく。一つの写真に込められた想いは、羽根ほどの重みもないのだ。しかし、銀版写真のあの頃は…。スリーピングビューティー。色あせた画面の中で、彼らは永遠に眠り続けているのである。今回の作品のテーマは死とカメラであり、またそこに最近の鳩山作品としてはめずらしく同性愛が全面に出ている。陰鬱な内容で最初に読んだ時はやや気が滅入ったが、次に読み直す時はもっと物語に入っていけるかと思う。黒色に燻し銀でプリントがされたその函と作品集は、この物語をおさめるのにふさわしい造りである。弔いの黒、沈黙の黒。

展覧会の会場内には美しいイラストプレート(密室の中の少年とカメラたち、肉体とカメラが同等にオブジェ化する、その合間に漂う官能性)をはじめ、掌の上の小宇宙「カルト・ド・ヴィジート」(小さなフレイムの中に閉じ込められているのは、少年たちのありし日の面影か?)、そして標本箱。私が見に行った頃には、ほぼすべての作品が売約済みとなっていた。後ろ髪を引かれつつ、『デゲレオタイピスト』と『カメラ・デイズ』を購入する。『カメラ・デイズ』はカメラの歴史を描いた絵巻物。本体がフィルム状になっているデザインが素晴らしい。量産される作品でこのおそるべきクオリティなのだ、一点ものの作品が持つ圧倒的なアウラは言葉に言い表すことなどできない。カメラ好きにとって、この『カメラ・デイズ』はものすごくツボな作品だと思います。もっと手元に置いて、誰かにプレゼントしたいと思うほど。

個展は、7月7日までスパンアートギャラリーで開催中です。私は7日まで東京に戻ってこないので、もう足を運ぶことはできそうにありません。ですが叶うことなら、何度でも足を運びたい展覧会でした。せめて瞼の裏側に、あの光景を焼き付けておくことにいたしましょう。

 

 

 

 

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